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2016年 02月 25日

YDSクラブ新年会 at 千葉南房総

2月20日(土)・21日(日)に千葉の南房総でちょっと遅いYDSクラブ新年会を行いました。参加者はクラブ員とその家族で総勢16名となりました。
以前は忘年会として沼津で行っていましたが、関東のメンバーも多いのでここ数年は千葉で開催しています。
土曜日の午後は生憎の雨でツーリングは出来ませんでしたが日曜日はお日様もさして良い天気になりました。
ツーリング参加者は7名と少なかったですが、2ストツインの排気音を響かせて南房総のワインディングを楽しみました。
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次回のクラブイベントは、5月14日(土)・15日(日)の第34回YDSクラブミーティング(静岡県磐田市)となります。


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by YDS_CLUB | 2016-02-25 20:57 | YDS Meeting、他イベント | Comments(2)
2016年 02月 06日

ヤマハ ファクトリーロードレーサー 125cc

ヤマハは1961年に世界選手権ロードレース(WGP)に参戦を始めましたがそのメインクラスは250ccでした。125ccにも参戦しましたが250ccほどの活躍はありませんでした。先に市販ロードレーサーTA125を紹介しましたが関連することもあるので125ccファクトリーレーサーについて書いておきます。

ヤマハが初めてWGP125ccクラスに参戦したのは、1961年の第3戦フランスGPでした。空冷単気筒ツインロータリーバルブ吸気(クランクケースの両側にキャブレター装着)エンジンを搭載したRA41は、野口種晴選手のライディングで8位となりましたがトップからは2周遅れ(レースは、13周)でした。その後1963年のRA75まで、空冷単気筒エンジンを改良しましたが充分な戦闘力が得られず、1964年に空冷並列2気筒ロータリーバルブ吸気エンジンを塔載したRA97が登場しました。RA97は、この年の
第5戦ダッチTT(オランダ)にスポット参戦し、フィル・リード選手がホンダ(2RC146、4ストローク4気筒)のジム・レッドマン選手と激しいトップ争いを行い2位に入賞しました。

翌年の1965年には、RA97のエンジンが水冷化され戦闘力を増しました。これがヤマハオートバイ初の水冷エンジンでした。この年は、スポット参戦でしたが第5戦マン島TTでフィル・リード選手が優勝を果たしました。これは、ヤマハのマン島TTレース初勝利でした。2位は、ホンダ(4RC1464ストローク4気筒)のルイジ・タベリ選手、3位はヤマハ(RA97)のマイク・ダフ選手でした。第6戦ダッチTTではマイク・ダフ選手が優勝しRA97の高い戦闘力を示しました。

1966年は、このRA97でフル参戦したビル・アイビー選手が第1戦スペインGPを始め4勝(全10戦)を挙げ、ホンダ(RC1494ストローク5気筒)のルイジ・タベリ選手とチャンピオン争いをしましたが惜しくもランキング2位となりました。(1966年の125ccライダーチャンピオンは、ホンダのルイジ・タベリ選手でした。)
          RA97

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その後125ccクラスは、多気筒化時代となり、ヤマハも1967年に水冷V4気筒ロータリーバルブ吸気エンジンを搭載したRA31を登場させました。ミッションは9速で、最高出力は40psを越えたと言われます。この年、ビル・アイビー選手が8勝(全12戦)を挙げライダーチャンピオンを獲得、フィル・リード選手も2勝を挙げ年間ランキング2位となり、ヤマハはWGP125ccクラス初となるメーカーチャンピオンを獲得しました。
          RA31

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1968年には、更に性能向上と軽量化が施されRA31Aとなりました。エンジン回転数は、17,000rpmに達したと言われます。この年、フィル・リード選手が6勝(全9戦)を挙げライダーチャンピオンを獲得、ビル・アイビー選手が2勝を挙げ年間ランキング2位となり、ヤマハは2年連続してメーカーチャンピオンを獲得しました。
          RA31A

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その後、レギュレーションの変更や日本メーカーのWGP撤退もあり、ヤマハも1969年よりファクトリー参戦を中止しましたが、先行開発の形でレース活動は継続されました。

125ccレーサーは、レギュレーションの変更(1970年より2気筒/6速以下)に合わせ1969年に空冷並列2気筒ピストンバルブ吸気エンジンを搭載したYZ623が登場しました。このエンジンは、市販車の125ccツインAS系(ボア・ストローク 43×43)がベースで、ミッションはクロスレシオの5速に変更されていました。また、フレームやブレーキも市販車のパーツをベースに改造されたものでした。これらは市販車AS系のキットパーツや市販レーサーTA125のベースになったと思われます。
1971年にはミッションが6速に変更され、フレームもエンジン位置の変更やスイングアームの延長が施され、フロントフォークやブレーキもファクトリー仕様となったYZ623Aが登場しました。

1972年は、ボア・ストローク始めエンジン仕様の見直しと水冷化が図られ、大幅に戦闘力をアップしたYZ623Cが登場、ケント・アンダーソン選手は第6戦ユーゴスラビアGPで優勝するなど3勝(全13戦)を挙げ、年間ランキング2位となりました。(1971&1972年の125ccライダーチャンピオンは、デルビのアンヘル・ニエト選手でした。)
          YZ623C

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ヤマハのファクトリー参戦が復活した1973年は、このYZ623C に改良が加えられ、乾式クラッチを装着したOW15となりました。このOW15を駆ったケント・アンダーソン選手は、1973年の第1戦フランスGPから4連勝するなど圧倒的な強さで5勝(全12戦)を挙げ、ライダーチャンピオンとなりヤマハは125ccクラス3度目のメーカーチャンピオンを獲得しました。
0W15とケント・アンダーソン選手は1974年も好調を続け、第1戦フランスGPを始め5勝(全10戦)を挙げ、2年連続して125ccクラスのライダーチャンピオンとなりヤマハも2年連続してメーカーチャンピオンを獲得しました。
          0W15

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1975年、ケント・アンダーソン選手は彼自身の改造でフロントブレーキをダブルディスク化し、セリアーニ製フロントフォークを装着したOW15で参戦し、第1戦のフランスGPで優勝しましたが、この年の優勝はこの1回のみで最終戦のユーゴスラビアGP4位に入り、年間ランキング3位となりました。(1975年の125ccライダーチャンピオンは、モルビデリのパオロ・ピレリ選手でした。)
この年でケント・アンダーソン選手はWGPを引退しました。ヤマハ125cc ツイン・ロードレーサーの歴史もここで幕を閉じます。(余談ですが、この時期から日本メーカーは、WGPの最高峰500ccクラスに力を入れたため、125ccクラスはしばらくモルビデリやミナレリなどイタリアメーカーの活躍が続きました。)


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by YDS_CLUB | 2016-02-06 22:51 | YAMAHA 2st Twin | Comments(0)
2016年 02月 03日

AT90ロードレーサー

先に紹介したヤマハスモールツインAT90のレーサー記事です。
当時の富士スピードウェイで平均時速129.6km(最速ラップ時約135km/h)は速いです。
ヤマハニュースNo.39(1966年10月号)より
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「ヤマハニュース」は販売店向け機関誌で歴代のものをヤマハのデジタルライブラリーで見ることが出来ます。
http://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/library/


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by YDS_CLUB | 2016-02-03 21:04 | YAMAHA 2st Twin | Comments(2)