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カテゴリ:YAMAHA 2st Twin( 37 )


2017年 06月 11日

YAMAHA 2stroke

ドイツの友人より本が送られて来ました。
ドイツ語で書かれたヤマハ2ストロークバイクの歴史本です。
残念ながらドイツ語は読めませんが写真が豊富で楽しめます。
特に海外の広告やカタログは見たことがないものが多く新鮮です。
本の厚さは約2.5cmで280ページもありボリューム満点です。その一部を紹介します。
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著者の一人でこの本を送ってくれたPeterさんについては以下参照下さい。
http://ydsclub.exblog.jp/24894807/
http://ydsclub.exblog.jp/22328365/

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by YDS_CLUB | 2017-06-11 13:31 | YAMAHA 2st Twin | Comments(0)
2017年 01月 17日

クラッチメンテ YDS編

YDS系のクラッチはクランクシャフトの左側に付いています。
1次側に付いているのでエンジン回転数と同じ回転数で回っています。
この形態は、YDS1~YDS3/YM1まででDS5-Eからは2次側にクラッチが付くようになりました。
YDS1のフリクションプレートは片側のみにコルク材が貼り付けられていて、クラッチプレートの片側にもコルク材が付いています。
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YDS2からフリクションプレートの両側にコルク材が付いている形となりましたが枚数は3枚のままでした。
以下、YDS2のサービスマニュアルより
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以下、YDS2のパーツリストより
5 148-16321-00 フリクションプレート(t=4.3mm)  3枚(t=12.9mm)
6 148-16324-00 クラッチプレート(t=2.3mm)    2枚(t=4.6mm)
7 148-16325-00 プレッシャプレート(t=3.5mm)   1枚(t=3.5mm)
この部分のトータルの厚みは21mmです。
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YDS3ではフリクションプレートが収まる幅が拡大され4枚仕様となりました。
以下、YDS3のサービスマニュアルより
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以下、YDS3のパーツリストより
5 148-16321-00 フリクションプレート(t=4.3mm) 4枚(t=17.2mm)
6 156-16324-00 クラッチプレート(t=1.6mm)   3枚(t=4.8mm)
7 148-16325-00 プレシャプレート(t=3.5mm)   1枚(t=3.5mm)
この部分のトータルの厚みは25.5mmです。
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更にYM1(305cc)ではフリクションプレートが薄くなり5枚仕様となりました。
5 159-16321-00 フリクションプレート(t=3.4mm) 5枚(t=17mm)
6 156-16324-00 クラッチプレート(t=1.6mm)   4枚(t=6.4mm)
7 148-16324-00 プレシャプレート(t=2.3mm)   1枚(t=2.3mm)
この部分のトータルの厚みは25.7mmです。

YDS3も馬力アップ(+2ps)された '66年マイナーチェンジ型の途中からこのフリクションプレート5枚仕様に変更されています。

※YDS系(250cc Twin)については以下参照下さい。
http://ydsclub.exblog.jp/22285842/
※YM系(305cc Twin)については以下参照下さい。
http://ydsclub.exblog.jp/22365730/
※クラッチ容量と関係が深いエンジン性能については以下参照下さい。
http://ydsclub.exblog.jp/25042343/



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by YDS_CLUB | 2017-01-17 18:39 | YAMAHA 2st Twin | Comments(0)
2017年 01月 15日

クラッチメンテ 続き

ヤマハ125ccTwinシリーズの最強は、1973年型の市販レーサーTA125でそのクラッチは湿式ですがAX125より強化されていました。
フリクションプレートの厚みは3.2mmで枚数5枚はAX125と同じですが、内側に入っていたダンパーリングが廃止されその分表面積が拡大されていました。また、ベースプレートもアルミ製となっていました。
クラッチプレートは厚みが薄いものが設定されフリクションプレートの両サイドをスチール製のプレートが押すようになっていました。
この部分のトータルの厚みは24mmでAS1やAX125と同じです。
以下、TA125のパーツリストより
5 137-16325-00 クラッチプレート(t=1.6mm)   2枚(3.2mm)
6 137-16325-70 クラッチプレート(t=1.2mm)   4枚(4.8mm)
7 400-16321-00 フリクションプレート(t=3.2mm) 5枚(16.0mm)
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《番外編》
ミッションオイルを抜かずにクラッチなどを整備する時にバイクを寝かせて行うのですが '70年代のワールドグランプリでもその光景が見られます。
以下、[Continental Circus -the Race and Places, The People and the Faces-]より
The works Yamaha team of Giacomo Agostini and Teuvo Lansivuori working on the expensive bikes on
the dusty sand.
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マシンは、1974年のヤマハOW20(500cc、並列4気筒)です。クラッチは乾式なのでミッションの整備を行っていると思います。
この時期は未だ外から簡単に替えられるカセットミッションは使われてなかったと思います。

※市販レーサーTA125については以下参照下さい。
http://ydsclub.exblog.jp/24912506/
※ヤマハOW20については以下参照下さい。ヤマハのWebサイトです。
https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/racing_yzr500_0w20/

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by YDS_CLUB | 2017-01-15 18:30 | YAMAHA 2st Twin | Comments(0)
2017年 01月 09日

クラッチメンテ AS1

久しぶりに乗ったAS1(125cc、Twin)のクラッチが滑り気味だったのでメンテしました。
AS1オリジナルのフリクションプレートは4枚ですが後続モデルのAX125では5枚となっています。
手元にAX125用があったので5枚仕様としてみました。
滑り感も無くなりクラッチフィーリングも良いです。
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以下はAS1のサービスマニュアルより
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以下、AS1のパーツリストより
6 137-16324-00 クラッチプレート(t=1.6mm)   5枚(8.0mm)
8 132-16321-00 フリクションプレート(t=4.0mm) 4枚(16.0mm)
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以下、AX125のパーツリストより
6 137-16324-00 クラッチプレート(t=1.6mm)   5枚(8.0mm)
8 307-16321-00 フリクションプレート(t=3.2mm) 5枚(16.0mm)
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AX125ではクラッチプレートが1枚省略されプレッシャープレートが直にフリクションプレートを押すようになっています。
フリクションプレートを薄くして枚数を増やす手法は性能がアップしていく中で必要だったと思います。

クラッチをメンテして少し走って来ましたが、何だか昭和の風景でした。003.gif
※マフラーはAS1-C用のアップタイプを付けています。
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ヤマハスモールツインについては以下参照下さい。
http://ydsclub.exblog.jp/22303206/
アップマフラー仕様については以下参照下さい。
http://ydsclub.exblog.jp/22470196/

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by YDS_CLUB | 2017-01-09 18:52 | YAMAHA 2st Twin | Comments(2)
2016年 06月 20日

ツーリングモデル

以下は1962年版の国内向けヤマハのカタログです。
モペットのMF2(50cc)とMJ2(55cc)は、排気量違いなので純粋なモデル数は4種類となります。
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次のものは1963年版のカタログです。下段の3種類はニューモデルになります。
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気になるのは「TOURING」と銘打った「YDT-1」と「YAT-1」です。
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250ccのYDT-1は、YD3のエンジンを少しチューンアップ(17PS/6000rpm⇒18PS/6500rpm)してYDS2のフレームに積んで外観もYDS2を少しアレンジ(メッキタンク、サイドカバーやアップハンドルなど)したモデルです。
YD3は、YD2のマイナーチェンジ版として1961年に発売されました。
1960年くらいまでの国産バイクはオールマイティで仕事にも遊びにも使えると言うスタイル(実用車)でしたがどちらかと言うとビジネス寄りで外観も重厚なものでした。YD3は、セルスターターを装備しています。
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YDS2は、YDS1のモデルチェンジ版として1962年に発売されました。
出力も23PS/7500rpmとなり、一文字ハンドルなどかなりスポーティなモデルでした。
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1963年発売のYDT-1は、YDS2の車体にYD3のエンジンと言うことである意味ハイブリッドだったのかも知れません。
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125ccのYAT-1は、YA5のエンジンを少しチューンアップ(10PS/6500rpm⇒12PS/7000rpm)しニューフレームに積んで外観も新しいものでした。
YA5は、YA3のフルモデルチェンジ版として1961年に発売されました。
エンジンもロータリーバルブ吸気の新しいものでした。
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ビジネス用途がメインですがいろんなバージョンがありダブルシートが付いたものはツーリングユースでもありました。
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1963年発売のYAT-1は、新たなフレームと外観が採用されました。
発売前のカタログでは単色のフューエルタンクでした。
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実際に発売されたものは、洒落た塗り分けのフューエルタンクでした。
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「TOURING」と言うモデル設定は面白いと思いますが当時はスポーツモデルが若者の憧れでした。
このYDT-1とYAT-1は、1964年版のカタログにも載っていますが発売台数は少なかった様で一代かぎりのモデルとなりました。
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《余談》
YD3のカタログではライダーと同乗者もノーヘル(当時は合法)ですが、スポーツモデルのYDS2のカタログではタンデムライダーもしっかりヘルメットをかぶっています。 ※どちらのカタログも1962年版と思われます。
YD3(260ccはYE3)
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YDS2
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by YDS_CLUB | 2016-06-20 20:28 | YAMAHA 2st Twin | Comments(0)
2016年 03月 13日

ヤマハ 2ストロークパラレルツイン 250cc エンジン性能について

本題に入る前に少しエンジン性能について述べておきます。
最近は国際単位(SI単位)の採用でエンジン出力はキロワット表示に統一されましたがメーカーのカタログでは以前の馬力と併記されています。
例えばヤマハのロングセラーモデルSR400の最高出力は、19kW(26PS)と表示されています。
私の年代は馬力の方が感覚的に判り易いので馬力を中心に話を進めます。
馬力には2種類の表示方法があります。
メートル法の馬力表記は「PS」で以下の定義となります。
1PS=75kgf・m/s
これは、75kgfのものを1秒間に1m動かす仕事量を表します。
「PS」はドイツ語の「プフェルデ・シュケルト」の略で「馬の力」という意味です。
もうひとつヤード・ポンド法の馬力表記があり「HP」(ホース・パワー)で表します。
1HP=550lbf・ft/s
これは550lbf(ポンド)のものを1秒間に1ft(フィート)動かす仕事量を表します。
厳密には「PS」と「HP」は少し違っています。SI単位に変換すると以下となります。
1PS=0.7355kW
1HP=0.7457kW
次に「トルク」ですがこれは回転する力のことで単位は「kgf・m」で表します。
T(トルク)=F(力)×r(腕の長さ) → F=T/r
エンジンで言えば力(F)は、爆発圧力がピストンを押し下げる力で腕の長さ(r)はクランクの中心からクランクピンまでの長さ(ストロークの半分)に相当します。
次にこの力を使ってクランクがN回転すると仕事をしたことになります。
回転半径はrですからN回転した時の距離はL=2πrNとなりこの時の仕事(W)は
W=力×長さ=F×L=(T/r)×2πrN=2πNT
となります。仕事はどれだけのことをするか、と言うことで時間の観念が入っていません。
そこで、どれだけの仕事をどれだけの時間でするかと言うことが仕事量(馬力)の考えです。
今エンジンが毎分n回転しているとすれば、
1秒あたりの仕事=2πnT/60 kgf・m/s です。
1PS=75kgf・m/sですからこの時の馬力(P)は
P=2πnT/(60×75)となり
トルク(T)の式に直すと
T=60×75×P/2πn≒716×P/n → P=T×n/716 となります。
P:馬力 PS
T:トルク kgf・m
n:毎分回転数 rpm
トルク(T)は爆発圧力(正確には平均有効圧力)が出す回転力で、馬力(P)はこれに毎分回転数(n)を掛けて716で割った値となります。判り難いですが単位を基準に考えれば整理しやすいと思います。
トルク(平均有効圧)が一定なら回転数を上げれば馬力が上がることが判ります。但し現実には平均有効圧が下がったり機械損失が増えたりするので限界があります。
エンジンのチューンアップはこの平均有効圧や回転数を上げること行っているのですが特に2ストロークの場合はシリンダ壁面に開いたポートで掃気や排気のタイミングを決めており各回転(違うピストンスピード)で平均有効圧を上げて行くのは困難です。
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さて本題に入りますがエンジンの仕様で気になるのが「ボア(B)×ストローク(S)」です。
同じ250ccでも「B×S」は自由に設定出来ますがエンジンの基本となる数値なので重要な意味を持っています。
YD1のエンジンは、ドイツのアドラーMB250を基にしたので「54×54」もその値だと思います。
1957年の浅間火山レースでは250ccクラスにYDレーサーとしてB×Sが「54×54」と「56×50」の2種類のエンジンが登場しました。これはレースレギュレーションに対応するものでしたがエンジン仕様のテストも兼ねていたと考えられます。
その後市販車として登場したYDS1は、「56×50」の仕様でした。
では「54×54」と「56×50」ではどの様に違うのでしょうか?
先に述べたように出力を上げるには回転数を上げるのが手っ取り早い方法です。しかしピストンのスピードが速くなるので焼付きなどのリスクもあります。
エンジンが定回転していてもピストンは往復運動をしているのでそのスピードは一定ではありません。
通常平均ピストンスピード(m/sec)という値で議論します。
54mmストロークでエンジン回転数が6000rpmだとすればその時の平均ピストンスピードは
(54/1000)×2×(6000/60)=10.8 m/sec です。
同じく50mmストロークでは、
(50/1000)×2×(6000/60)=10.0 m/sec となり約8%低くなります。
逆に同じピストンスピードにしたら50mmストロークの方が回転数を約8%上げられることになり、うまくすれば馬力も8%上げられることになります。
2ストロークの場合排気ポートの有効面積や掃気通路の形状など性能に係る要素が多いので単純にショートストロークが有効とは言えませんが一つの指針だと思います。
'70年のDX250で「54×54」になりましたがこれは350ccとの共用化(350ccは「64×54」)のためであり、その後250cc専用設計となったTZR250が「56.4×50」や「56×50.7」となったところを見るとYDS1の「56×50」は正しい選択だったと思います。(TZR250が端数なのはフルサイズにするため)

YD系(シングルキャブ)のエンジンは低速型の実用車向けでYDS系(ツインキャブ)のエンジンは高速型のスポーツ向けエンジンなので両者の性能比較は避けるとして、'59年のYDS1から'66年のYDS3までに6PSも出力が上がっています。
ここで仕様として目につくのはキャブレター(型式の数字はボア径を示す)です。出力と共にサイズが上がっています。キャブレターはサイズを上げれば出力が上がると言ったものではなく、仕様的に出力が上がったから大きなサイズが必要となると言ったものです。エンジン出力の向上は出来るだけ多くの適正な混合気を燃焼室に充填しうまく着火して高い爆発圧力を得ると言ったものですが2ストロークの場合は各ポートや排気管の大きさ・形状など不確定な要素が多く試行錯誤で出力向上を行っていったのだと思います。
次に'67年のDS5Eで3.5PSの向上がありますが、補助掃気ポートを追加した5ポートエンジンや鋳鉄スリーブをアルミで鋳包んだメタリックボンドシリンダの効果だと思います。
'59年のYDS1から'69年のDS6までの10年間で実に10PS、50%も出力が上がっています。'60年代は正にYDSエンジンの成長期だったのです。
逆に'70年代は2ストロークエンジンにとって苦難の時代でした。メイン市場だったアメリカでの排気ガス規制のため、2ストロークエンジンは消え入りそうになりました。
そんな中でも「ピストンリードバルブ」や「CDI点火」などの技術が投入され、最大出力の向上はありませんでしたが低速域での出力改善が図られ扱いやすいエンジン特性となりました。
そして激しい出力競争の時代 '80年代がやってきます。そのトップバッターが'80年に登場したRZ250でした。
水冷となり最大出力も35PS/8500rpmとなりました。その3年後にはYPVS付きのRZ250Rで8PSアップの43PS/9500rpmまで行きました。2ストロークエンジンの基本的な出力向上技術は頂点に達しディバイスと呼ばれる付加技術で出力を出して行く時代となりました。その中でも排気ポートのタイミングを制御するYPVSの効果は大きかったです。
更にその1年後にはRZ250RRで45PS/9500rpmまで上がりました。平均ピストンスピードは17.1m/secとなりました。これはエンジン冷却性の向上と各材料やオイルの性能向上に依るところが大きいと思います。
その後、業界の自主規制で250ccの最大出力は45PSとなりましたが最大トルク値の向上など扱い易いエンジン特性を目指し改良が加えられました。一般的には最大出力点と最大トルク点の回転数の差が広く、トルク値が高い方がパワーバンドが広く扱い易いエンジンと言えます。
圧縮比を記載していますが2ストロークの場合は排気ポートが閉じてからの計算値で通常7前後です。圧縮比が低く出力が出ている方が熱的なリスクが低い(上手くチューニングされている)と言えます。
ツインキャブ(スポーツ系)エンジンでは、'59年のYDS1から'84年のRZ250RRまでの25年間で実に25PS、2.25倍もの出力向上がありました。どの時代のモデルもその時の先端技術で創り出されており創り手の情熱を感じるので魅力的です。

さて、どのモデルまでYDS系エンジンと呼んでいいのか?と言う疑問がありますが私はボア・ストロークが「56×50」でピストンバルブ吸気だった'69年のDS6までだと思います。(もう少し狭く定義するとクラッチがクランク軸に付いているYDS3まででしょうか。)

【補足】
現在、エンジン形式の呼び方は正式な英語読みの「2ストローク」「4ストローク」に統一されています。
以前は「2(4)サイクル」とも呼んでいましたが、正確には「2(4)ストローク1サイクル」でこれを短縮して「2(4)サイクル」と言っていました。

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by YDS_CLUB | 2016-03-13 21:04 | YAMAHA 2st Twin | Comments(2)
2016年 02月 06日

ヤマハ ファクトリーロードレーサー 125cc

ヤマハは1961年に世界選手権ロードレース(WGP)に参戦を始めましたがそのメインクラスは250ccでした。125ccにも参戦しましたが250ccほどの活躍はありませんでした。先に市販ロードレーサーTA125を紹介しましたが関連することもあるので125ccファクトリーレーサーについて書いておきます。

ヤマハが初めてWGP125ccクラスに参戦したのは、1961年の第3戦フランスGPでした。空冷単気筒ツインロータリーバルブ吸気(クランクケースの両側にキャブレター装着)エンジンを搭載したRA41は、野口種晴選手のライディングで8位となりましたがトップからは2周遅れ(レースは、13周)でした。その後1963年のRA75まで、空冷単気筒エンジンを改良しましたが充分な戦闘力が得られず、1964年に空冷並列2気筒ロータリーバルブ吸気エンジンを塔載したRA97が登場しました。RA97は、この年の
第5戦ダッチTT(オランダ)にスポット参戦し、フィル・リード選手がホンダ(2RC146、4ストローク4気筒)のジム・レッドマン選手と激しいトップ争いを行い2位に入賞しました。

翌年の1965年には、RA97のエンジンが水冷化され戦闘力を増しました。これがヤマハオートバイ初の水冷エンジンでした。この年は、スポット参戦でしたが第5戦マン島TTでフィル・リード選手が優勝を果たしました。これは、ヤマハのマン島TTレース初勝利でした。2位は、ホンダ(4RC1464ストローク4気筒)のルイジ・タベリ選手、3位はヤマハ(RA97)のマイク・ダフ選手でした。第6戦ダッチTTではマイク・ダフ選手が優勝しRA97の高い戦闘力を示しました。

1966年は、このRA97でフル参戦したビル・アイビー選手が第1戦スペインGPを始め4勝(全10戦)を挙げ、ホンダ(RC1494ストローク5気筒)のルイジ・タベリ選手とチャンピオン争いをしましたが惜しくもランキング2位となりました。(1966年の125ccライダーチャンピオンは、ホンダのルイジ・タベリ選手でした。)
          RA97

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その後125ccクラスは、多気筒化時代となり、ヤマハも1967年に水冷V4気筒ロータリーバルブ吸気エンジンを搭載したRA31を登場させました。ミッションは9速で、最高出力は40psを越えたと言われます。この年、ビル・アイビー選手が8勝(全12戦)を挙げライダーチャンピオンを獲得、フィル・リード選手も2勝を挙げ年間ランキング2位となり、ヤマハはWGP125ccクラス初となるメーカーチャンピオンを獲得しました。
          RA31

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1968年には、更に性能向上と軽量化が施されRA31Aとなりました。エンジン回転数は、17,000rpmに達したと言われます。この年、フィル・リード選手が6勝(全9戦)を挙げライダーチャンピオンを獲得、ビル・アイビー選手が2勝を挙げ年間ランキング2位となり、ヤマハは2年連続してメーカーチャンピオンを獲得しました。
          RA31A

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その後、レギュレーションの変更や日本メーカーのWGP撤退もあり、ヤマハも1969年よりファクトリー参戦を中止しましたが、先行開発の形でレース活動は継続されました。

125ccレーサーは、レギュレーションの変更(1970年より2気筒/6速以下)に合わせ1969年に空冷並列2気筒ピストンバルブ吸気エンジンを搭載したYZ623が登場しました。このエンジンは、市販車の125ccツインAS系(ボア・ストローク 43×43)がベースで、ミッションはクロスレシオの5速に変更されていました。また、フレームやブレーキも市販車のパーツをベースに改造されたものでした。これらは市販車AS系のキットパーツや市販レーサーTA125のベースになったと思われます。
1971年にはミッションが6速に変更され、フレームもエンジン位置の変更やスイングアームの延長が施され、フロントフォークやブレーキもファクトリー仕様となったYZ623Aが登場しました。

1972年は、ボア・ストローク始めエンジン仕様の見直しと水冷化が図られ、大幅に戦闘力をアップしたYZ623Cが登場、ケント・アンダーソン選手は第6戦ユーゴスラビアGPで優勝するなど3勝(全13戦)を挙げ、年間ランキング2位となりました。(1971&1972年の125ccライダーチャンピオンは、デルビのアンヘル・ニエト選手でした。)
          YZ623C

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ヤマハのファクトリー参戦が復活した1973年は、このYZ623C に改良が加えられ、乾式クラッチを装着したOW15となりました。このOW15を駆ったケント・アンダーソン選手は、1973年の第1戦フランスGPから4連勝するなど圧倒的な強さで5勝(全12戦)を挙げ、ライダーチャンピオンとなりヤマハは125ccクラス3度目のメーカーチャンピオンを獲得しました。
0W15とケント・アンダーソン選手は1974年も好調を続け、第1戦フランスGPを始め5勝(全10戦)を挙げ、2年連続して125ccクラスのライダーチャンピオンとなりヤマハも2年連続してメーカーチャンピオンを獲得しました。
          0W15

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1975年、ケント・アンダーソン選手は彼自身の改造でフロントブレーキをダブルディスク化し、セリアーニ製フロントフォークを装着したOW15で参戦し、第1戦のフランスGPで優勝しましたが、この年の優勝はこの1回のみで最終戦のユーゴスラビアGP4位に入り、年間ランキング3位となりました。(1975年の125ccライダーチャンピオンは、モルビデリのパオロ・ピレリ選手でした。)
この年でケント・アンダーソン選手はWGPを引退しました。ヤマハ125cc ツイン・ロードレーサーの歴史もここで幕を閉じます。(余談ですが、この時期から日本メーカーは、WGPの最高峰500ccクラスに力を入れたため、125ccクラスはしばらくモルビデリやミナレリなどイタリアメーカーの活躍が続きました。)


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by YDS_CLUB | 2016-02-06 22:51 | YAMAHA 2st Twin | Comments(0)
2016年 02月 03日

AT90ロードレーサー

先に紹介したヤマハスモールツインAT90のレーサー記事です。
当時の富士スピードウェイで平均時速129.6km(最速ラップ時約135km/h)は速いです。
ヤマハニュースNo.39(1966年10月号)より
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「ヤマハニュース」は販売店向け機関誌で歴代のものをヤマハのデジタルライブラリーで見ることが出来ます。
http://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/library/


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by YDS_CLUB | 2016-02-03 21:04 | YAMAHA 2st Twin | Comments(2)
2016年 01月 30日

市販ロードレーサー TA125

1960年代は国内でもモータースポーツが盛んとなり各メーカーはキットパーツという形でチューニングパーツを供給していました。
ヤマハは1959年発売のロードスポーツYDS-1でキットパーツを設定し浅間レーサーやスクランブラーに改造できましたが1962年に市販ロードレーサーTD-1を発売しその後TD(250cc)/TR(350cc)シリーズ、またTZシリーズと続き完成車で直ぐにロードレースへ参加できるようにしました。
250cc以下の小排気量クラスはキットパーツを供給し続け安価にモータースポーツを楽しめるようにアマチュアライダーをサポートしました。
1965年に発売された2ストツインのAT90にもキットパーツがあり、ロードレーサーへの改造方法を記した「レースマニュアル」を提供していました。
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同じく1967年発売の2ストツインのAS-1(125cc)にもキットパーツがありましたが、1973年にヤマハ初となる125ccの市販ロードレーサーTA125が発売されました。
これは1971年に発売されたロードスポーツAX125をベースとしており、最高出力24ps以上/12750rpm、乾燥重量81kg、価格35万円というものでした。
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1971年AX125
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TA125は同じ仕様のまま約2年間発売されました。この時期250/350ccクラスの市販レーサーは水冷化された時代で海外でもモリビデリ(イタリア)などは水冷125ccの市販レーサーを販売していました。
TA125は国内のアマチュアライダーに受け入れられ一時的には台数を伸ばしましたが性能的には少し遅れて来た市販レーサーの感はありました。
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《おまけ》以下は柴田一弥さんが作った1:9スケールのスクラッチモデルのTA125です。
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※柴田一弥さんの作品は以下のWEBサイトで紹介されています。
http://www.fcv.ne.jp/~kaz-ya/


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by YDS_CLUB | 2016-01-30 19:01 | YAMAHA 2st Twin | Comments(2)
2016年 01月 24日

ドイツのYDS-1

以前紹介したドイツの Peter AbelmannさんのYDS-1がドイツ版「Classic Motorrad」誌に記載されました。
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Peter Abelmannさんの紹介はこちら
http://ydsclub.exblog.jp/22328365/

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by YDS_CLUB | 2016-01-24 21:09 | YAMAHA 2st Twin | Comments(0)